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一泊二日の土佐日記・岡田以蔵の墓編。
やっとこのエントリーで、岡田以蔵の墓に到着です。

中学生のときに高知で買った史跡ガイド本“龍馬からのメッセージ 前田秀徳著(平成二年自費出版)”を見ると、以蔵の墓は、「高知市薊野真宗寺山(沢田マンション裏)」と書いてあります。このころから沢マンは地元で有名だったのだなぁとブツブツ言いながら、山を登ります。

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まあ、山といっても高くなく。

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中学生のときと同じコースを辿ります。

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おっ標識が綺麗に分かりやすくなっている。
けど、方向音痴の私は案の定周辺をウロウロするはめに。

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同じ道を登ったり下ったりして、やっとこの道に入ればいいことを悟ります。

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墓地内部。中学生のときは、小雨のぱらつく曇り空の中でしたので、鬱蒼とした森の中を歩いたような記憶がありましたが、意外にそうでもなかったなと。そういえば、途中でつい疲れて座ってしまって、それが墓石の上だったなぁ。

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文久年間の墓。江戸時代の墓は今より小さく、ちょっと高めの椅子くらいの高さ。私が座ってしまったのは、この墓だったのかなぁ。謝りたいけどよく分からない。

墓で不思議に思うことは、江戸時代の墓と今の墓では、大きさが極端に違うこと。そして、土葬と火葬の違いですね。

土葬の場合は、桶に入れて土を掘って埋めて墓石をのせます。結果、場所をとるのだから、少々墓石が大きくても問題ないと思われますが、小さいのです。費用や手間の問題でしょうか。火葬は骨壷をいくつも入れるために墓が大きくなったのかなぁ。

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目的の岡田以蔵の墓。墓碑銘は“岡田宜振”。注意されたし。

といっても、中学生のときよりも案内板が親切に掲示されてますので間違うことはなし。墓の周辺も綺麗に。以前は藪の中に斜めに生えるように建っていました。維新の元勲たちの墓参りがほとんど旅の目的だった中学生の頃は、あのメジャーの以蔵がこの状態かと、驚きました。

佐幕派からはただの暗殺者ですし、維新生き残り組からすれば裏切り者(拷問のため自白)ですし、明治維新の黒歴史、人斬りの代表格ですけども、こうも死後の扱いが違うものかと。

今では、周りの雑草も抜かれ、献花台に線香台(以蔵と刻んでありますね)も置かれています。ただ、少し斜めに建っているところは以前の記憶のままでした。

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慶応元年(一八六五)二十八歳没。

お参りしたのですが、目を開けると目の前を蚊が五匹くらい飛んでいました。ずっと奴らがつけてきているのは分かっていたのですが、さすがに気持ちが萎えます。ここまで来る途中も蜘蛛の巣がすごくて、落ちていた枝で払いながらやってきました。

まあ、刺されたことに気づかないほど汗だくだったのですが、左手の甲だけで三箇所ほど。

この墓地には、他にも弘瀬絵金(絵師の河田小龍の師匠)の墓や岡本寧浦(儒学者。門弟に武市瑞山、間崎哲馬、岩崎弥太郎)の墓など色々とあるのですが、さすがに探す気は失せました(蚊よけスプレーは空港のロッカーに預けたバッグの中でした。うかつにも)。

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方向音痴の私は、案の定もと来た道を辿れず、知らない道を下って行きます。比較的整備されていたので楽チンな道だったこともあり。すると、花束を抱えたいかにも観光客風の女性二人が登ってくるのとすれ違います。「おおっあれが歴女か」。

ということは・・・。

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やっぱりこっちが入り口だったのか・・・。ちゃんと案内板も凝ったものが設置されているし。

くそ~歴女め、さすがに情報収集能力はそちらの方が上か。私の頭に付いた蜘蛛の巣をどうしてくれる。

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というわけで、ヤマダ電機の裏の空き地から、岡田以蔵の墓へは真っ直ぐ登れます。

沢田マンションやこの墓地の眼前には、ヤマダ電機やTSUTAYA、ホームセンターにスタバ、牛乳飲み比べしたサニーマートなどが建ち並び、その通りの先にはイオンモールもあります。

栄えたなぁという感慨もありますが、もし沢田マンションが建て壊しになったりした場合、この墓地も再開発で削られそう。実際、坂本龍馬の父母や一族の墓があった場所は開発されています。

今回、中学のときの自分の足跡を辿りましたが、歩いて来て良かったなと。色々な変化を見ることが出来ましたし、変化し過ぎでもなかったし。(つづく)
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【 2011/09/24 19:00 】

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