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一泊二日の土佐日記・長宗我部元親像にて編
敵の本山城は、高原の国というべきであろう。その城は白雲のかなたにあるといっていいほどの峻険上にあり、要害のきびしさは国中第一といっていい。しかもこれほどの高峻の地でありながら、郷内に大河が流れ、樹木がさかえ、田畑も多く、一種の桃源郷であった。この山城ならば百年の籠城にも堪えられるであろう。(司馬遼太郎著 夏草の賦より引用)

戦国時代の四国をほぼ統一した戦国大名、長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)。その長宗我部元親の一生を題材にした小説「夏草の賦(なつくさのふ)」に、日本一の米・土佐天空の郷にこまる&ヒノヒカリの産地である本山町一帯についての記述がありましたので、引用させて頂きました。

まったくもって私が今回見てきた産地の様子と同じ内容です。素晴らしいの一言。

桂浜の帰り道、その長宗我部元親の銅像がある公園の前を通りましたので、寄り道します。

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駐車場前に置かれた馬防柵。

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本山茂辰(しげとき)は、長宗我部家の宿敵。

本山町は高知県長岡郡にありますが、この長岡の“長”の字は、長宗我部家の“長”の由来となっています(もちろん本山町は本山氏)。あの一帯(長岡郡本山町、長岡郡大豊町)の古来からの豊かさを物語っています。有力な豪族が勃興する風土。

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この柵で敵兵と騎馬の侵入を防ぎつつ、鉄砲や槍で攻撃を与えるという寸法。

ちなみに火縄銃は射程距離が120メートルくらいですので、馬で全力疾走してくる武者相手には、このくらいの柵がないとおちおち撃てませんね。怖すぎです。

で、見学してたら、なんと今回の土佐天空の郷田んぼ見学ツアーでお世話になりました本山町農業公社の和田さん一行と遭遇。

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じつは桂浜でも遭遇していて、そのあとここでも偶然会いました。縁ですねぇ。

しかし、こうもしつこく短時間で遭遇を繰り返すとかえって気まずい。
とっさに話題がでないのですよ。
というわけで、気まずさのあまり記念撮影。

左から田岡さん、和田さん、天川さん、鎌田さんです。

田岡さんは、田んぼ見学のときにドライバー&ガイドとしてお世話になった方です。今回は、この方の車に同乗できて非常に運が良かったです。空港でもお世話になっています。

和田さんは、本山町農業公社の事務局次長さんです。ライスセンターで説明されている光景はこのブログでも紹介させて頂きました。

右側2名は、卸しの方。日頃より大変お世話になっています。

銅像はもちろん、長宗我部元親像。難攻不落の本山城は、調略(城内部への揺さぶり、裏切り)で落とします。大変な軍略家らしく、こういった調略などを駆使し、四国を統一していきます。

非常に合理的かつ心配性な人だったらしく、少年のころは無口で室内一人遊び好きのインドア派。付いたあだ名は“姫若子(ひめわこ)”だったそう。銅像では、槍をかっこ良く持ってますが、稽古嫌いです(このあたりは是非、小説をご覧ください)。

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右から2番目が私。
しかし、こう偶然会うのも縁ですねぇ。

※データが無くなっていたと思っていたエントリーを発見したので、アップしました。次回の一泊二日の土佐日記をお楽しみにお待ちください(まだ未完ですよ!)。

つづく。
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【 2011/11/11 19:00 】

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一泊二日の土佐日記・桂浜編
路面電車に乗ってからは、ほんとにベタな旅になっております。
今回は桂浜編です。

路面電車の終点からタクシーに乗ろうかと思いましたが、見つからず。交通量は多いのだけど・・・。しばらく歩いたらレンタカーの看板が。

レンタカー屋さんに聞くと、ここから車で20分くらいで桂浜に着きますが、タクシーだと片道3千円以上かかりますよ、とのこと。もうここはレンタルするしかありません。10分100円らしく、2時間借りて1200円。安いな~。

真っ赤なヴィッツを借りて出発です。

お店の配達用軽と比べてかなりの軽快さ。なかなかの乗り心地、シャア専用ヴィッツ。スイスイ進むレンタカーを運転しながら、なぜ午前中からレンタカーを借りなかったのかと次第にムカムカが増していきます。あの直射日光はなんだったのかと。

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そうこうしているうちに桂浜に到着です。
心が洗われるようです。

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あのお宮は、海津見神社龍王宮というそうな。昔からあります。

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龍王宮の上、展望台から撮影。パノラマです。

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桂浜の波は高く、波打ち際は立入禁止。

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ザッパーン!

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清掃活動をしている皆さま。お疲れ様です。

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龍馬像。

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アップ。

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龍馬像その2。

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帰りに黒潮ラインで車を停めて、太平洋を眺めます。

「家族で来たときはドライブで決まりだな」

広い太平洋を見て、心穏やかになり帰路につきます。方向音痴ですので、帰りの緊張感は相変わらず高め。はたして時間内にレンタカー屋に辿りつけるのか?(つづく)
【 2011/09/30 19:10 】

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一泊二日の土佐日記・チンチン電車編
薊野(あぞうの)で墓参り後、直射日光にフラフラになりながら、高知駅に到着。

ペットボトルのお茶を買って、持参のサーモスの水筒に入れて、桂浜へゴー。近頃の水筒は保温性が抜群で助かります。

2011-09-05 12_21No[0905]

桂浜へは、路面電車で行けるところまで行って、タクシーを拾う計画。
高知に来たからには、一度は乗らないとね。

2011-09-05 12_21No[0911]

私には、「乗って」という風に見えます。

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市内一律190円。昔の記憶とあんまり変わらない値段でした。

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出発!

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日本三大がっかりのはりまや橋は、電車の中からパチリ。赤信号でいい場所に停車してくれました。

竹林寺の僧・純信が恋人であるいかけ屋・お馬の為に髪飾りを買ったという悲恋物語は「よさこい節」の歌で有名である(ウィキペディアより引用)。

土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい(よさこい節)。

お気づきになりましたか?
手前の欄干が、かんざしのデザインですね。

2011-09-05 12_32No[0939]

「ちょっと写真撮るので、どいてくれませんか?」と運転手さんに言って撮った写真。

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「ちょっと写真撮るので、手を放してくれませんか?」と運転手さんに言って撮った写真。

嘘ですよ。全部後ろ側の運転席を撮影しています。

2011-09-05 14_47No[1159]

路面電車用の電線がすごいことになっています。

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終点手前の桟橋車庫前駅からすぐの車庫。

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いかにもイベント用の車両もありました。

イベント号って書いてあるし。
ノルウェーの意味が良くわかりません。

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関係者以外立入禁止の看板手前からズームで。

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ズームで。

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桂浜からの帰りの写真。
私には「来たよー。乗って」という風に見えます。

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6分間隔で運行していますので、非常に便利で、よく他の車両とすれ違います。娘も一緒だったら喜んだだろうなぁ。

ハードな旅はできなかっただろうけど。(つづく)
【 2011/09/29 19:01 】

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一泊二日の土佐日記・岡田以蔵の墓編。
やっとこのエントリーで、岡田以蔵の墓に到着です。

中学生のときに高知で買った史跡ガイド本“龍馬からのメッセージ 前田秀徳著(平成二年自費出版)”を見ると、以蔵の墓は、「高知市薊野真宗寺山(沢田マンション裏)」と書いてあります。このころから沢マンは地元で有名だったのだなぁとブツブツ言いながら、山を登ります。

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まあ、山といっても高くなく。

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中学生のときと同じコースを辿ります。

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おっ標識が綺麗に分かりやすくなっている。
けど、方向音痴の私は案の定周辺をウロウロするはめに。

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同じ道を登ったり下ったりして、やっとこの道に入ればいいことを悟ります。

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墓地内部。中学生のときは、小雨のぱらつく曇り空の中でしたので、鬱蒼とした森の中を歩いたような記憶がありましたが、意外にそうでもなかったなと。そういえば、途中でつい疲れて座ってしまって、それが墓石の上だったなぁ。

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文久年間の墓。江戸時代の墓は今より小さく、ちょっと高めの椅子くらいの高さ。私が座ってしまったのは、この墓だったのかなぁ。謝りたいけどよく分からない。

墓で不思議に思うことは、江戸時代の墓と今の墓では、大きさが極端に違うこと。そして、土葬と火葬の違いですね。

土葬の場合は、桶に入れて土を掘って埋めて墓石をのせます。結果、場所をとるのだから、少々墓石が大きくても問題ないと思われますが、小さいのです。費用や手間の問題でしょうか。火葬は骨壷をいくつも入れるために墓が大きくなったのかなぁ。

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目的の岡田以蔵の墓。墓碑銘は“岡田宜振”。注意されたし。

といっても、中学生のときよりも案内板が親切に掲示されてますので間違うことはなし。墓の周辺も綺麗に。以前は藪の中に斜めに生えるように建っていました。維新の元勲たちの墓参りがほとんど旅の目的だった中学生の頃は、あのメジャーの以蔵がこの状態かと、驚きました。

佐幕派からはただの暗殺者ですし、維新生き残り組からすれば裏切り者(拷問のため自白)ですし、明治維新の黒歴史、人斬りの代表格ですけども、こうも死後の扱いが違うものかと。

今では、周りの雑草も抜かれ、献花台に線香台(以蔵と刻んでありますね)も置かれています。ただ、少し斜めに建っているところは以前の記憶のままでした。

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慶応元年(一八六五)二十八歳没。

お参りしたのですが、目を開けると目の前を蚊が五匹くらい飛んでいました。ずっと奴らがつけてきているのは分かっていたのですが、さすがに気持ちが萎えます。ここまで来る途中も蜘蛛の巣がすごくて、落ちていた枝で払いながらやってきました。

まあ、刺されたことに気づかないほど汗だくだったのですが、左手の甲だけで三箇所ほど。

この墓地には、他にも弘瀬絵金(絵師の河田小龍の師匠)の墓や岡本寧浦(儒学者。門弟に武市瑞山、間崎哲馬、岩崎弥太郎)の墓など色々とあるのですが、さすがに探す気は失せました(蚊よけスプレーは空港のロッカーに預けたバッグの中でした。うかつにも)。

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方向音痴の私は、案の定もと来た道を辿れず、知らない道を下って行きます。比較的整備されていたので楽チンな道だったこともあり。すると、花束を抱えたいかにも観光客風の女性二人が登ってくるのとすれ違います。「おおっあれが歴女か」。

ということは・・・。

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やっぱりこっちが入り口だったのか・・・。ちゃんと案内板も凝ったものが設置されているし。

くそ~歴女め、さすがに情報収集能力はそちらの方が上か。私の頭に付いた蜘蛛の巣をどうしてくれる。

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というわけで、ヤマダ電機の裏の空き地から、岡田以蔵の墓へは真っ直ぐ登れます。

沢田マンションやこの墓地の眼前には、ヤマダ電機やTSUTAYA、ホームセンターにスタバ、牛乳飲み比べしたサニーマートなどが建ち並び、その通りの先にはイオンモールもあります。

栄えたなぁという感慨もありますが、もし沢田マンションが建て壊しになったりした場合、この墓地も再開発で削られそう。実際、坂本龍馬の父母や一族の墓があった場所は開発されています。

今回、中学のときの自分の足跡を辿りましたが、歩いて来て良かったなと。色々な変化を見ることが出来ましたし、変化し過ぎでもなかったし。(つづく)
【 2011/09/24 19:00 】

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一泊二日の土佐日記・沢田マンション編
牛乳を飲んでホッと一休み。
岡田以蔵の墓まであと少しです。
ところが・・・。

2011-09-05 10_57No[0794]

写真の建築物の後ろの山に岡田以蔵の墓があります。
でも、その建築物には、沢田マンションと書いてあります(画像クリックで大きくなります)。

おお、ここはあの「沢田マンション」でしたか!ビックリ。
沢田マンションは、通称「沢マン」と呼ばれ、「日本の九龍城」とも言われている違法建築物です。

なんと手作りマンション。

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沢田マンション左側。

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右側。
独学の夫婦が作った未完の手作りマンション。
屋上の赤いクレーンは、建設時の名残り。

そうか、私が中学生のときに、ここに来たときもあのクレーンはありました。ただの工事中にしても作業員が見えないし、と不思議に思っていましたが、そうかやっぱり珍しい建物だったんだなぁ。

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なんかオシャレそうなテナントも入っています。

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合気道教室まで。

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ギャラリーまで。

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おおっ。

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家賃はバラつきがありますが、概ね安い。
ここのマンションは、ひとつとして同じ間取りがないのです。

敷金2ヶ月、礼金なし。いいね~。
にしても、イロリ付き6畳にはぶったまげ。

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パノラマ。

建設時のエピソードも、運営方法も豪快なマンション(例えて言うなら安土桃山時代)ですので、あまりオシャレマンション(例えて言うなら江戸時代)になり過ぎないようにと個人的には祈りつつ、目的の岡田以蔵の墓(幕末)へ向かいます。

沢田マンションについては、Wikipediaの解説がとても面白いです。(つづく)
【 2011/09/22 19:00 】

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